まだ「ツイッター」と呼んでしまう理由 —— 名前変更とユーザーの感覚のズレ

未分類

2023年、SNSの代名詞とも言える「Twitter」が突如として「X」に改名された。
青い鳥のロゴは姿を消し、アプリのアイコンも「X」に置き換えられた。
しかし、日常会話では依然として「ツイッター」という呼び名が使われ続けている。

友人との会話で「昨日ツイッターに書いたんだけど」と言えば、「ああ、Xのことね」と訂正されることがある。
だが多くの人にとって、それは単なる訂正ではなく違和感として響く。
「確かに名前は変わったかもしれない。でも、自分が使っているのはあくまでツイッターだ」——そんな感覚を抱く人は少なくない。


名前は変わったのに、体験は変わらない

ブランド名の変更は歴史の中で何度も行われてきた。
だが、サービスの根幹に触れるような大規模リブランディングは慎重に進められるのが一般的だ。

今回のケースでは、ユーザーが目にする画面や使う機能に大きな変化はなかった。
タイムラインを読み、投稿をシェアし、コメントを交わす。
それは「ツイート」という言葉が生まれた頃とほとんど変わっていない。

にもかかわらず、呼び名だけが「X」に置き換えられた。
利用体験と名称のギャップが、「やっぱりツイッターだよな」という感覚を強めている。


人々が築いた文化と名前の重み

「ツイッター」という言葉には、単なるブランド名以上の意味がある。
ニュース速報が「ツイッターで拡散」と紹介され、芸能人が「ツイッターに投稿した」と報じられる。
十数年かけて積み重ねられた文化や記憶は、青い鳥のロゴと不可分の存在になっていた。

その積み重ねを「X」という一文字に置き換えるのは、まるで街の看板を急に差し替えたような違和感を残す。
建物も人もそのままなのに、入口に掲げられた名前だけが変わる。
利用者からすると「勝手に上書きされた」という印象を受けても不思議ではない。


定着しない「X」という呼び方

実際に周囲を見渡しても、「Xを開いた」と言う人はまだ少数派だ。
多くは「ツイッターを見た」と言い、投稿も「ツイートした」と口にする。
公式が「ポスト」と呼んでいても、ユーザーの会話では従来の言葉が使われ続ける。

これは言語の自然な現象でもある。
人々の生活に深く入り込んだ言葉は、簡単に書き換えられない。
「写メール」や「iPod」なども同じで、名称変更や消滅後も長く言葉として残った。


名前を変えることのリスク

マーケティングの観点で見ても、Twitterのブランド価値は計り知れない。
「ツイッター」という単語はニュース性と即時性を帯び、メディアに引用されるだけで影響力を持った。

それを捨てることは、莫大な広告効果を失うのと同義だ。
もちろん「X」という新ブランドには「スーパーアプリ」構想やAIとの連携といった未来像が込められている。
だが、ユーザーの多くはまだその全体像を理解していない。
結果として「自分たちの場所が勝手に塗り替えられた」という感覚だけが先行してしまった。


名前は「押し付け」ではなく「定着」で決まる

サービス名をどう呼ぶかを決めるのは、企業よりもむしろユーザーだ。
公式がいくら「X」と呼んでほしいと言っても、日常会話で自然に使われなければ浸透しない。

実際、日本のメディア記事でも「旧ツイッター(現X)」という表記が定番になっている。
これは呼称の移行が順調に進んでいない証拠だ。
人々が日常的に口にし続ける限り、「ツイッター」は半ば独立した存在として残り続けるだろう。


まとめ:名前よりも文化が大切

「X」という名前は公式の現実だ。
しかし「ツイッター」という呼び名は、ユーザーにとって生活の一部になっている。
両者はしばらく並行して使われ続けるに違いない。

結局のところ、SNSの価値を決めるのは名前ではなく、そこに集う人々の文化だ。
青い鳥が去っても、ツイッター精神は人々の言葉の中に残り続けている。

コメント

タイトルとURLをコピーしました